凝れば凝るほど・・・

FANBLOGから引っ越し中です。音楽、ゴルフ、旅行、雑誌、小説、広告その他お気に入りをとりとめもなく

今年は島根で極上の音体験 山下達郎 PERFORMANCE 2024(ネタバレ注意!)

それにしても本当にチケット当たらない。
いったい何回 e-plusに同じこと入力すればいいんでしょう?

ここ数年は1ツアーで軽く100回はID PW 姓名 ルビ  同行者の姓名 年齢 メルアド 携帯番号etc.を入力させられます。なんでログイン情報保存できないんだろう?
さらにはファンクラブの人数も再募集を始めてしまったため増えて、会員でもなかなかチケット取れません。
そんな中、今年は自分のファンクラブ枠第5希望まですべてハズレ、同行者の第5希望でやっと当たったのが今回の島根県民会館でありました。もうNHKホールや神奈川県民ホールなんて望むべくもありません。
まあ、単に運が悪いのだけかもしれませんが・・・。

 

ただ島根は達郎マニアにとってはある意味「聖地」なので、それはそれで良かったんですけどね。

相変わらず長すぎる前置きはこのくらいにして、本題に入りましょう。

島根県民会館は1968年開場の古いホール。

「今年やっとトイレがウォッシュレットになった」とは達郎さんのMCトーク

すぐ隣にそびえ立つ松江城天守閣から見た県民会館

日曜日なので5時開場6時開演。
購入したグッズはお決まりのツアーパンフのみ。

ADD SOME MUSIC TODAYのTシャツにも一瞬食指を動かしかかりましたが。

席は1F26列 後ろから5列目くらいですが、小さめのホールだけにそれ程後ろという印象ではありません。

ほぼ6時ちょうどに、いつものようにドラムス小笠原拓海さんを先頭にメンバーがステージに現れ、客席から歓声が上がり、自分の持ち場に着きます。さらに歓声が大きくなりました。そう山下達郎の登場です。
ギターを肩にかけ、お馴染みカッティングのイントロが奏でられます。

1.SPARKLE  
そのお馴染みフェンダーテレキャスターのカッティングのイントロを聴いて、おっ クリアな音だ! 
ボーカル歌い出しはちょっとこもった感じかな?でもこれは自分の耳がPAから出る音に順応していないんですよね。いつもそうです。でも・・・

2.LOVE'S ON FIRE 
これはいい音だ!耳が慣れ始め、達郎さんの声がとてもクリアに聞こえます。
いやいや、ホールでこんなに歌がはっきり歌詞の一字一句が聞こえるのって大げさじゃなく初めてじゃないだろうか?島根県民会館大ホールは定員1537人。この手の多目的ホールとしては小さめの規模ですが、それだけのせいじゃなさそう。
MCで言ってましたが「恐らくこのホールに一番多く出演しているのは山下達郎」だそうです。
ところでこのLOVE'S ON FIREのスタジオ録音の演奏はすべて打ち込みで作られていると思いますが、これのフィジカル演奏を聴いてみたかったのです。いやいや上手い!個々のプレイヤーの実力は分かっているんだけれど、改めてバンドトータルとして放たれる音のタイトさ、まとまりは例える言葉が見つかりません。

3.人力飛行機
相変わらず最高の声質。籠もらず、かといってキンキンになることもなく、あたかもトラックダウンしたライブレコードの音質で聞こえます。そしてドラムとベースのグルーヴ感、そこに乗っかるホンキートンク調ピアノのバランス、もう何もかも完璧です。
この曲では、昨年のツアーから新たに参加している鳥山雄司さんのスライドギターソロが堪能できますが、その音色もボリュームもリズムセクションに対してベストなバランスでした。
それにしても達郎さん自身の声のなんと滑かなこと。ハイノートも無理に振り絞っている感全くゼロです。
バルサは少し脆さが目立つ」
小学生の頃バルサ材買って、マブチモーターつけてシャシーだけのクルマつ作ったっけ。

MC:「今日は親戚縁者はほとんど来てない」って分かりますよね。ここから出雲までは鉄道で1時間ほどです。
ここから夏の歌3連発ということで・・・
4.夏への扉
5.僕らの夏の夢
6.Sync Of Summer
この最新曲は昨年のツアーでも演奏されましたが、今でもこう言う曲調を作ってくれているのは昔からのファンにとってはとても嬉しい筈。一時期新曲はタイアップの要請からかバラードに偏っていた感がありますが、この十年くらい、光と君へのレクイエムあたりからミディアムからアップテンポのグルーヴ感満載の「達郎節」が増えてますね。
もう一つ今回気づいたことは、エレキギターアコースティックギターの持ち替えが結構頻繁だったこと。ステージの段取りより、曲のつながりのイメージ優先だったのでしょうか?

7.PAPER DOLL
去年までSOLID SLIDERでやっていたギター、サックス、キーボード×2のソロ回しは、今年はこの曲で。何廻り目の後に全員で音出しますが、ソロイストのテンション上がってもリズム隊は決して走りません。

8.ポケットミュージック
バックコーラスが美しいこの曲では、ハルナ ENA 三谷のアンサンブルを堪能出来るのですが、特にブレイク後のI CAN HEAR THE MUSIC,SENTIMENTAL MUSIC,IN THIS POCKET MUSICの部分が心に刺さります。ただ他の曲もそうでしたが、コーラスの音量もう少し大きければいいのになぁなんて思いました。今回のライブで音的にもう少し、なんて感じた唯一の部分でした。
ところで、昨年のインプレッションでも書いたのですが、ハルナさんって本当に唄いながらの腕のアクション無いんですよね。ついそんなところに目が行ってしまいます。

9.シャンプー
達郎さんがエレピの弾き語りで歌うこの曲は、宮里陽太さんのソプラノサックスが際立ちます。個人的には宮里さんのサックスの音色はアルトよりもソプラノの方が好みです。
達郎さんが奏でるエレピの音って、自分は楽器機材のことは詳しくなくどういったエフェクターを使っているか全く分かりませんが、素晴らしい臨場感。まるでヘッドフォンで聴いているが如きの音。曲の最後の一音が今でも耳を離れません。

10.ONLY WITH YOU
11.I LOVE YOU‥‥Part II
例年恒例のアカペラコーナーは昨年に引き続きドゥーワップじゃないパターン。今年はBig Wave発売40周年とのことで、ONLY WITH YOUとI LOVE YOUを一人多重録音のテープに乗せて唄われました。ONLY WITH YOUの完全アカペラバージョンは今年のツアーが初出ではないでしょうか?

12.クリスマスイブ
初めて山下達郎のライブに来た人のため、これが人生一度きりの山下達郎ライブに来た人のために必ず演奏されるこの曲は、例年通りの演奏パターン。

ところでこれも例年通りですが、観客に向かって達郎さんからこんな問いかけが・・・。
「今日初めて生の山下達郎を見た人手を挙げて」
今回は結構多くて1/3くらいに感じました。
「吉と出るか、凶とでるか」
これも例年通りの台詞です。
ちなみに隣の席のカップルも挙手してましたが、女性はかなり感激の度合いが強かった様で、この後何度も目頭を押さえていました。良い回に当たりましたね。

13.蒼氓
以前は「希望という名の光」と年ごとにテレコで演奏されていましたが、ここ数年は蒼氓が続いています。
この曲は後半コーダの部分でかなりハイノートが連続するのですが、ここも楽々って感じで歌われました。♬Me and You. You and Me.
本当に今夜(今年)は喉の調子が良いようです。

14.さよなら夏の日
ギターをおろし、これだけワイヤレスマイクで唄います。途中でステージの右の袖、左の袖に移動しながらの歌唱です。途中の歌詞「ごらん、最後の虹が出たよ」の部分では毎回右手で空を仰ぎます。自分もカラオケで歌う時はこのまねをします(笑)

15.メリーゴーラウンド
サカナクションの山口一郎はNHK FMの自身の番組で山下達郎メロディーズを特集した際に、この曲を単に昨今のシティポップと呼んで済まされる楽曲じゃない。心して聴くべき音楽だと言っていたのが印象的でした。

16.今日はなんだか
今回のSUGER BABE時代のナンバーはこの曲とアンコールのパレードの2曲。これも結構ハイノートが続く曲ですが、聴いていてそのことを意識させない程声の調子が良かったんですね。

ちなみに声の調子が良い理由のひとつとして、大酒飲みだった達郎さんがコロナ禍以降お酒を一切断ったからだそうです。地声のハイノートに加えファルセットの伸びも全然違う、とは竹内まりやさんの弁。


17.LET'S DANCE BABY
お決まりのクラッカー発射後のコメントは「今日は高松より多い」
ちなみに自分は飛行機だったのでクラッカー持って行けませんでした。現地調達しようと思ったんですが、松江で売ってる場所見つけられませんでした。
後半のメドレーでは・LOVELAND, ISLAND・踊ろよ、フィッシュ・高気圧ガール・ヘロン・CHEER UP! THE SUMMER・THE THEME FROM BIG WAVEが歌われました。

18.アトムの子
途中に挿入されるTVアニメ鉄腕アトムの主題歌♬10万馬力だ鉄腕アトムの「じゅーまん」が以前は裏声だったのが19年あたりから地声になりました。

ここからアンコール
拍手に迎えられてチェックのシャツに着替えた再度登場した達郎さん大きな正方形のパネルを持っています。
発売まで10日迫ったまりやさんのニューアルバム PRECIOUS DAYの紹介です。
「まりやは東京にいる」に開場からは落胆の声が。
達郎さん「これはオレのコンサートだ」

19.パレード
ここでふと気がついたことがあって、今回のライブ 例年と違ってギターのシールド(コード)が短いんじゃないか?と感じました。いつもだと達郎さんがギターを弾きながらステージ上を動き回る時に、ローディは長いシールドが舞台のモニターとかに引っかからない様にシールドたぐりながら達郎さんの後ろについて回るんですが、そういったシーンが一度もなかったんですよね。一応ギターにシールドは着いているんですけど、どうなっていたんでしょうかね?
ちなみにご存じない方に説明をすると、山下達郎はワイヤレスを嫌う人なので基本的にはギターとアンプ(エフェクターは介しているけれど)はシールドで繋いで音を出します。

20.RIDE ON TIME
これもお決まりのバンドメンバー紹介をソロ回しを伴って行います。
また、セットに設けられた「お立ち台」のマイクを通さずに「生歌」を今年もやってくれましたが、2階席の後ろの皆さんへ ってご発言。先にも書いた様にここは音響良いし小さめだから楽勝だったと思います。

21.恋のブギウギトレイン
今日のライブもいよいよ佳境です。基本的に山下達郎のコンサートの音量はそれ程大きくはなく、というか聴きやすい適度な音なのですが、さすがにここまでくると意図的?に大音量になって、apple watchから90デシベル超えてますって警告がでました。そんな中でwoo boogie woogie love train c'mon! c'mon! の女声コーラスはとても心地よくまた可愛く聞こえます。

22.YOUR EYES
このアカペラのラストナンバーの前には必ず来場のお客さまにコメントがありますが、今回はSNSに対するクレームがなされました。具体的な書き込みに対する物言いではありませんでしたが、SNSで世の中荒んでいるという意味の発言でした。
しかし、これは私の個人的な憶測ですが、ジャニー喜多川の一件でまだまだ山下達郎の名前を見ただけで脊髄反射する人が結構いるんだと思います。さらには未だに松尾某はグジュグジュ言っているようですね。達郎さん自身はSNSとか一切やっていないとのことですが、未だに誹謗中傷の葉書がサンデーソングブックに沢山届いていることは想像に難くはありません。

山下達郎のライブは演奏時間が長いことで有名ですが、今回はアンコール含め2時間45分。昨年の山形とほぼ同じ時間。今まで自分が経験した中で最長は3時間半。それ以外は長くて3時間と少しが平均的でしたが、年齢的なこともあってさすがに敢えて短めにしているとの話を昨年小笠原拓海さんの口からお聞きしました。曲数を以前より1~2曲減らしているのと、曲中の各楽器のソロパートが明らかに短くなっていますね。

それは兎も角、今回の島根県民会館のライブは本当に素晴らしい歌、演奏、そして音響でした。特に達郎さんの声質は71歳にしては・・・ではなくて、年齢がどうこうという以前に絶対的にとても上質な歌声でした。


明日は山下家ファンにとっての聖地、出雲に向かいます。
その模様は次回のブログで・・・。

まさかのXXIOを使ってます

久しぶりのゴルフネタであります。

6月に仕事関連のコンペに参加したら優勝してしまいました。

 ちなみにコースは甲斐ヒルズカントリー倶楽部。シャトレーゼの経営です。だから茶店でアイス食べ放題 ランチはケーキ食べ放題!

 

20人規模の割には結構賞品も豪華で、今回の優勝賞品はゼクシオドライバー。

ですが・・・
自分にとっては正直申しあげてあまり魅力があるクラブではありませんでした。

何故かって言うと、ゼクシオって月イチオジさんゴルファー向けで、典型的なマーケットインクラブのイメージが強いからです。
実力は兎も角、まあまあゴルフに入れ込んで「趣味はゴルフです」って言っている身からすると、「使っちゃいけないクラブ」もっと言うと「使っていると恥ずかしいクラブ」って思っておりました。
事実、自分がメンバーの太平洋クラブでメンバー同士の組み合わせでラウンドすると、ゼクシオ使っている人って皆無なんです。

ずっと以前にゴルフ耳年増ってタイトルでブログ書いたんですが、ゴルフの本質をよく分かっていない人に売りやすくするために「売り場での見てくれだけを重視した」「練習場だけで上手く打てる」「コストのかけ方が本末転倒」なクラブの仕事は決して受けないという某黒メガネのゴルフジャーナリスト(って誰だかすぐに分かっちゃうけど(笑))に感化されまくった自分にとっては、決して買わないクラブだった訳ですよ、XXIOって。

遡ってみれば、初代XXIOが発売されたのって2000年だったんですね。その時にゼクシオと世界初の高反発ドライバーCallawayERCとを迷ってERCを購入した訳ですが、その時はゼクシオもそれ程初心者向けって感じじゃなかった記憶があります。でもその後、メーカーのダンロップスポーツを始めとして他メーカードライバーの種類が一気に増えるにつけ、ゼクシオはどんどん一般レジャーゴルファー向けになって行った印象が強いです。
シャフトもどんどん柔らかくなって行ったと聴いております。同じダンロップスポーツの上級モデルSRIXONのRシャフトよりゼクシオのSシャフトの方が柔らかいなんてね。
これは「オレはシャフトはSなんだ。Rなんてヤワなクラブは使えるか!」って言い放っていた40~50台オジさんゴルファーが、20年後60~70台になった際にもSでもちゃんと打てるようにRより柔らかいシャフトにSという表記を付けてあげるという優しい(笑)気遣いなのです。
これぞマーケットインマーケティングの典型ですね。

で、折角いただいたもの、そのままヤフオク行きなんて失礼なことはできません。じゃあ購入したショップ教えてもらってSRIXONに取り替えてもらおうか?なんて思っておりましたが、よくよく見てみてみると、XXIOの後にの表記があります。

これって通常のゼクシオと別モノ?

そしてネットでインプレッション見るとこれがかなり評判が良い。特にどこのどなたか良く知りませんが目つきが悪い(失礼)超辛口ゴルフYouTuberがベタ褒めしている。そしてあの松山英樹の試打動画(もちろんシャフトは普段松山が使用しているモノに差し替えてはいますが)を観るにつけ、このクラブ実はかなりいいんじゃないか?という印象が強くなってなってきました。
実際、SR表記のシャフトは40g台の表記にも拘わらず、かなりしっかりしています。さらにはクラブ総重量は300gを超えています。これは現在使っているCallaway PARADYMよりかなり重量あるんです。

だったら使ってみようってことで、コース(太平洋クラブ御殿場ウエスト)に持ち出してみました。

すると、何といきなり今年のハーフベスト40打で回れました。
飛距離はPARADYMとどっこいどっこいですが、ドローヒッターを標榜している自分が全く左にボールが行きません。かといって右に吹ける球もでなく、ほぼストレート〜若干のフェードで、タイミング良く捕まえられると理想的な軽いドローになります。
巷で良く聴く「新車効果」もあるのでしょうが、これはスコアが纏まるドライバーです。

もちろん良いことずくめではなくて、自分が感じた欠点としては打感が硬くて打音も甲高い所。これはヘッドがカーボンコンポジットじゃ無いせいなのでしょうが、ボールの「捉まった感」があまり得られません。逆にいえばこのクラブで「捉まった感」を感じた時は凄くナイスショットになっています。自分の腕を差し置いて色々言えた柄では有りませんが、スィートエリアが狭いのかな?なんて思います。
あとは、シャフトのMiyazaki AX-3は中調子とのことですが、自分のスイング特性からするともう少しシャフトの先が動いた方が、より強い球が打てる気がします。


そんなこんなで、ようやく涼しくなってきて秋のゴルフシーズン到来です。
ホームコースの太平洋江南、ヒルクレスト、美野里でどう言ったショットが打てて、どの位のスコアでラウンドできるのか?楽しみです。

片岡義男が描く古き良き時代のハワイに思いを馳せる

今から40年くらい前、片岡義男に凝っていた時期がありました。

ちょうどバイクに乗っていた時期で、代表作「彼のオートバイ 彼女の島」には大いに感化されました。
また、当時雑誌POPEYEに連載されていた「片岡義男アメリノロジー」というエッセイは毎号必ず読んでいましたね。

サーフィン、アメリカンカルチャー、ポピュラーミュージックそして青春ラブストーリー・・・

それらの小説・エッセイのテーマの中で特に自分に刺さったエピソード、シーン、それはバイクと並んで "HAWAII”でした。

先日本棚を整理した際、片岡義男の文庫本を手にして何冊かを読み返してみると、ハワイのローカルタウンやホノルル郊外のストリート、お店の名前が色々と出てきます。(文庫の値段が300円!)

その多くがそれらの小説・エッセイを購読したあとに実際に訪れていた場所だったのですが、別に片岡作品を意識した上で行った訳ではありません。今回読んだら「そういえばここ行ったことあるよね」って感じです。

例えば、マウイ島ワイルク、ハナのハセガワジェネラルストア、カウアイ島リフエショッピングセンター、カパア、ホノルル デューク・カハナモク記念プール、アラ・ワイのゴルフコースetc.etc.
(時差のないふたつの島)
ワイ島ヒロ マモ・アンド・ケアウェの角にあるファウンテンサービス、ワイキキウールワースのレストラン、ハマクアコースト、オレンジ色のハイビスカス柄の垂直尾翼etc.etc.
(頬よせてホノルル)
オアフ島ワイアルーア フジオカ・ストア 、カフク・シュガー・ミル、モクレイア、ライエetc.etc.
(限りなき夏1)

その街、道、店、あるいは食事について活字で読むと、むしろその場所の写真を見るより一層の感慨に浸れる気がします。
訪れてから20年30年経った今でも、黄色く焼けた文庫本の中質紙に印刷された「ワイルク」というカタカナ4文字が街角にあったWAILUKU GRILLのカレーサラダの味を思い起こさせてくれます。
マウイ島HANAにあるハセガワジェネラルストアにぐちゃぐちゃに山積みされたTシャツとか、アラ・ワイ・ゴルフクラブでスライス打って運河にボールを放り込んだ際、同伴プレイヤー ニノミヤさんの「アローハ」のかけ声、ハワイ島HILOダウンタウンにあったファウンテンサービスのシノハラ夫妻のお姿とか、3ドルで食べられたワイキキ ON KALAKAUA ウールワースの朝食のトーストの食感などなど。

この先、30年後自分が生きているか分かりませんが、例えば今年これからホノルルに行ってどこかのレストランで食べた朝食の味を果たして30年後の活字から思い起こされるものなのでしょうか?

いや、もう活字=紙に印刷された文字なんてこの世の中から消え去っている事でしょう。さらに言えば、今でさえスマホ、パソコンのディスプレイからこんな感慨に浸る事は難しくなっていると思います。
ただ、Google mapでそれら訪ねた事ある場所を俯瞰できるのは楽しいんですけどね。

昨今コロナが収束して多くの人がハワイ訪れ始め、またブログやYouTubeアップし始めましたが、それを見ていると特にホノルルはもう自分が頻繁に通っていた1980年代~90年代とは違う街になってしまった感を強く持ちます。まあ、大きな都市ですから変化があるのは仕方が無い事なんでしょうけど。

でも、カウアイ島のコロアやハナぺぺ、ビッグアイランドのホノカアやカパアウとかへ行けば、昔ながらの片岡ワールドのハワイが残っているのかな。
さらに言えば、行った事無いけどモロカイ島ならもっとそんな気分になれること間違い無しでしょうか?

もし、あなたが何度もハワイに行かれていて、ワイキキやアラモアナのショッピングや食事に、なんかちょっとねって感じるのなら、片岡義男のハワイを舞台にした小説・エッセイを読んでみるのも良いと思います。
今までとは違ったハワイの魅力を探せると思いますよ。

FUJIOKA SUPERMARKET WAIALUA OAHU

KAFUKU SUGAR MILL OAHU

ELSIES FOUNTAIN SERVICE HILO BIG ISLAND

HASEGAWA GENERAL STORE HANA MAUI

HASEGAWA GENERAL STORE HANA MAUI

WAILUKU GRILL WAILUKU MAUI

WAILUKU GRILL WAILUKU MAUI

LIHUE AIRPORT KAUAI

WOOLWORTH RESTAURANT HONOLULU OAHU











 

風蓮湖から野付岬へ・・・道東をひとめぐり(その3)

 

東北海道旅行記3回目は根室花咲漁港の宿泊先から風蓮湖、そして野付を周遊しました。

ここで位置関係と経路のご紹介。

まずは2泊目宿泊した花咲港民宿から至近の景勝地根室車石」へ

車輪を想わせる形をした『車石』は国の天然記念物に指定されている奇岩で、海底火山の噴火から放出された溶岩が海水中で急冷されて出来上がったもの。一番大きなモノは直径6mあります。
なんか人工のオブジェの様にも見えますね。

こんな感じのお煎餅ありましたよね

ここから、今回の旅行で釧路湿原と並んで一番行きたかった風蓮湖に向かいます。
北海道って地図でよく見ると湖の数がかなり多くて、特に道東ではサロマ湖を始めとしてが海と繋がっている湖が結構あります。その中でも風蓮湖ラムサール条約に登録されている湿地で、尾瀬のように湿地のなかを木道で歩ける事に興味をそそられました。
自分は子供の頃から地図を見るのが好きで、特に近年Google mapという非常に便利なモノをいつでも気軽に使えるようになってから、まずは行き先の地形、景色を真っ先に見ない訳にはいきません。
この湖をGoogle mapで見た時にこれは是非行かなくてはと思った次第でした。

最近話題のシマエナガは恐らくそうだろうという鳴き声は聞こえたものの姿は見られませんでした

 

エゾシカは結構見れました

 

冬になると白鳥が数多く飛来します

次に訪れたのは野付半島です。
野付って砂嘴(さし)という地形です。今回このブログを書くに於いて砂嘴砂州(さす)の違いを初めて知ったのですが、この地図で分かるように砂嘴の先っぽが対岸に繋がって中が湖になると砂州なのだそうです。ちなみに天橋立砂州とのこと

ちなみにこれはapple mapからの切り取り。 航空写真の場合、往々にしてgoogle mapより  
apple mapの方が精度が高いと思います

この細長い半島はクルマで突端とは言いませんが、結構先まで行くことができます。
その途中では・・・

エゾシカの群れ 立派な角が生えてますね

丹頂です いつもつがいで行動していますね

ちょうど飛び立つところに遭遇しました

半島の最東端にある野付崎灯台 国後島すぐそこなんですがこの日は天気が悪く見えませんでした

野付、よそではなかなか見られない景色でした。

 

この後、中標津に移動し翌日は霧で全く見えない摩周湖に寄ってから帰京しました。

中標津の街中です


今回の旅行で、道東の牧草地帯はとてつもなく広いという予備知識はありましたけれど、実際にこの目で見てみると想像を遥かに超えていました。

ところがこの写真の様に牛が放牧されているのはほんの僅かという事実は意外でした。地元の方にお聞きすると、殆どの牧場は単に牛舎に閉じ込められ飼育されている乳牛の餌として牧草を生育するためだけにあるんですね。
放牧されている乳牛と牛舎に閉じ込められている乳牛。どちらから採れる牛乳の品質が良いか?は推して知るべしですね。
 

それは兎も角として、この4日間道東の一面の緑と綺麗な空気に触れ続け、大いにリフレッシュできたと思います。









 

1972ミュンヘンから2024パリへ バレーボール金メダルへの道

パリオリンピックが本日いよいよ開幕します。

 

今回のオリンピックで個人的に一番期待しているのが、男子バレーボールであります。

中心選手の石川祐希高橋藍が現在世界最高峰イタリアプロリーグで活躍しているニュースが聞こえ、最新の世界ランキングで日本が2位にランクされるなど、一昔前では考えられない活躍ぶりです。

これはもういの一番に応援しない訳にはいきません。

 

時は遡って1972年ミュンヘンオリンピックで日本男子バレーボールチームが見事に金メダルを獲得したことは、現在還暦過ぎた方には覚えている方たくさんいらっしゃると思います。

この私、中学生時代バレーボール部だったこともあり、バレーボール日本リーグや海外強豪チームとの親善試合などをテレビ中継でよく観ていましたし、東京体育館日本リーグを観戦に行ったことも何度かありました。

ここからはすべて私の記憶と私見による記述です。その記憶も当時のテレビ中継での解説と一部の書籍から得た知識がすべて。ネットで調べてとか全くナシで書いていきます。かなりオタク入ってますのでそこんとこご理解よろしくお願いいたします。

でもここで書いたことを知っていただいた上でパリオリンピックのバレーボールをテレビ観戦すると、より楽しめると思います。

 

さて当時日本チームは、松平康隆監督の下1964年から8年計画で金メダルを目指してチーム作りを行い、東京銅メダル、メキシコ銀メダルに続いて当然ミュンヘン大会は金メダルを目指していました。そして大会が近づくにつれ、日本中から金メダル獲得の期待を受けていたと言っても大げさではない状況でした。

当時の世界バレーボール界は共産圏各国がしのぎを削っており、日本を除いて強豪国はすべて東欧諸国で占められておりました。その中でも各国独自のプレイスタイルを持ち、それらは「世界4大流儀」と呼ばれておりました。

力のソ連技のチェコスロバキア高さの東ドイツ、そして速攻コンビネーションの日本

それに加えてブルガリアポーランドルーマニアなどが上位を占めていました。

ところで現在世界ランキング1位はポーランドなんですってね。

体格的に敵わない日本チームは、強力なスパイクを誇るソ連、高いブロックと相手のブロックの上から打ってくる東独に対抗するために、セッターからのトスが頂点に上がる前に打つクイック攻撃(Aクイック)、ネットと平行に速く長く低いトスを打つBクイック、そのトスをセッターが後ろに上げるそれぞれCクイックDクイック。またそれらを組み合わせ囮のクイックで相手のブロックを引きつけ、別のアタッカーがノーマークで相手のコートに打ち込む時間差攻撃などを開発し、共産圏の大きな選手達に互角に渡り合いました。この時間差攻撃は海外でもJIKANZAと呼ばれていたそうです。

特にこの日本独自の速攻コンビネーションバレーは、高さの東ドイツには威力を発揮し、ミュンヘン大会の決勝戦がその東ドイツだったのは日本にとっては幸運でした。というのも日本はソ連の強打をなかなかブロックできずにいて、五輪前の親善試合でも対戦成績は5割以下だった思います。クラフチェンコを始めとする体重100kgを超えるメガトン打線は日本のブロックが無きが如く粉砕していたのでしたが、このソ連の強打を準決勝でことごとくブロックして決勝に勝ち上がってきたのがシュナイダー、シュルツ、シューマンの3Sを擁するその東ドイツだったのでした。
力は高さに弱く、高さはコンビネーションに弱い。この図式が上手く当て嵌まったのも実力に加えて、時の運だったのかもしれません。

実はこの時、日本速攻コンビネーションにもう一つのワザが加わっていました。それが中心プレイヤーだった森田淳吾選手の「一人時間差攻撃」でした。この一人時間差というのは、例えば、一旦Aクイックのタイミングでセッターに近づき、相手ブロッカーがそれにつられてブロックに飛んだタイミングであえて打たずに相手が降りた頃に少し高めのトスをノーブロックで相手コートにたたき込むといったワザです。さらにそれがAクイックからBクイックに移動、BからAへ移動、一番凄かったのはAからセッターの後ろに回ってCに移動すると言ったバリエーションもあって、これで相手ブロッカーは全くついて来れない状態になります。

この一人時間差はミュンヘンオリンピックの同年に確かポーランドブルガリアとかの親善試合で初披露された攻撃でしたが、それを見て驚いたのと同時に、これオリンピックの本番までなんで隠しておかなかったのか?心配になった記憶がありました。

でこれには、超私的後日談がありまして・・・。

10年ほど前、私が仕事の絡みでとあるゴルフコンペに参加した時のこと。当日のメンバー表に「森田淳吾」の名前が!これは絶対サインをもらおうと思い、月刊バレーボール臨時増刊ミュンヘンオリンピック特集号を持ってクラブハウスで森田さんを探し(身長194cmだからすぐに探せました(笑))サインをお願いしたら、何と・・・

「一人時間差 森田淳吾」 のサイン
回りにいらした皆さんに森田さんご本人がこれだよ、これ!って解説されておられました

この写真でよく分かると思いますが、相手ブロッカー(ブルガリアのエース ズラタノフ選手)は全然違うところにブロックに飛んでますね。

ちなみにこの試合はバレー史上どころか日本スポーツ史上に残る超大逆転劇、準決勝の日本対ブルガリアであります。2セット先取されてから3セットを奪い返し、それも5セット目3−9から逆転した名試合でした。

ここで日本チームの選手個々に目を向けて見れば、世界に互する大砲アタッカー大古横田、そしてその世界一のセンタープレイヤー森田、名セッター猫田、クイック攻撃の要木村などその時代の世界的プレイヤーがレギュラーを固め、ピンチ凌いだ東京五輪時代からのベテラン中村。若手オールラウンダーの嶋岡、この大会のラッキーボーイ的存在の西本深尾などチームの総合力として凄く噛み合ったチームでした。考えてみれば団体競技で金メダルを取ると言うことは、こういうことなんだな、と今回改めて思います。

このオリンピックに向けて、また松平監督も日本人の目を男子バレーボールチーム向けようと監督業に加えて、広報活動に注力されていました。64年の東洋の魔女で女子バレーが国民的人気を博した後、男子だって銅メダルを獲ったんだ、8年後に金メダルを獲るんだって色々なところでアピールし、ミュンヘン大会直前にはチームをモデルとしたテレビアニメの放送も実現させました。

 

ところが男子バレーボールはその後、凋落の一途をたどりました。メダル獲得はおろか、予選敗退でオリンピック出場さえ叶わない低迷期に突入します。
先に書いた様に日本の強みは速攻コンビネーションだった訳ですが、力と高さに頼っていた世界の強豪国も速攻コンビネーションを取り入れた事に加え、バレーボール自体のルール改訂が起因していると私は考えます。

実は、日本の金メダルチームのには速攻コンビネーション以外にもう一つ他国に秀でていたストロングポイントがあったのです。それは2段トスからのスパイク。2段トスとは後衛から前衛に向かって斜め後方から上げられたトスで、そのトスを打つ技術が日本選手は他国より優れていました。相手のスパイクが味方のブロックにワンタッチし、それを後衛プレイヤーが拾って2段トスを上げ、前衛のスパイカーが打ちます。これが日本は上手かったのです。
ところがミュンヘンの次大会モントリオールに後ルール改訂が行われ、ブロックに当たったワンタッチはカウントされなくなりました。つまり相手のスパイクが味方のブロックに当たって後衛のレシーバーがひろった後、セッターが改めてトスを上げ直す事ができるようになったのです。もちろん日本にとっても速攻コンビネーションを行う機会は増えましたが、2段トスからのスパイクが不得手な外国チームには追い風となった訳です。

それから約半世紀を経て、サッカーなどと同様に海外のトップリーグに日本人選手が進出することになって、ようやく日本男子バレーボールが世界の頂点を目指すチャンスがやってきました。
果たしてパリオリンピックで日本男子バレーボールチームは52年ぶりの金メダルを獲ることができるでしょうか?
大いに期待してテレビ観戦したいです。

霧多布 納沙布 花咲・・・道東をひとめぐり(その2)

道東めぐりの第2回です。
2日目はレンタカーで根室まで移動します。

釧路から厚岸(あっけし)〜霧多布(きりたっぷ)〜納沙布(のさっぷ)〜根室と移動

 

釧路駅近のトヨタレンタカーで借りたTOYOTA ROOMYは。オドメータの数値が20キロ。ということはまっさらの新車〜我々が最初の借主だった訳です。

排気量1000ccの割りによく走ります。燃費も22km/Lオーバーを記録

 

厚岸大橋を渡って海沿いの道に出ます 国道44⇒道々123

霧多布岬に着きました。その名の通りかなりの霧が出ていました

一瞬ですがラッコが泳いでいるのが見えましたよ

霧多布以外にもそこここで見られたキタキツネくん

カモメなのかウミネコなのかが群棲しています。

北太平洋シーサイドラインと呼ばれる海沿いの道はいったん内陸に入り、JR根室本線に平行して走ります。(根室本線のうち釧路〜根室間は花咲線と呼ばれているようです)
別当駅(べっとが)という標識にさ誘われてコンビニでもあるかな?と思い駅に行ってみると・・・
駅舎だけぽつんとある超超ローカルステーション。その駅舎も貨車を改造して作られた小屋としか呼びようがないもの

こちらはホーム側

  根室方面 日に4本、釧路方面日に6本しかきません。

プラットホームが砂利です

後でネットを見ると、この駅鉄ちゃんには結構有名みたいです。


ちなみに終着駅根室はこんな感じ。駅前にはロータリーもあって観光センターでお土産も売られていました。

しかし何故ポストが黄色?

ここから今日のうちに日本最東端 納沙布岬にいってみましょう。

ご覧の通りここも霧が出ていて、残念ながら5キロちょっとしか距離の無い歯舞諸島は見られませんでした


この日の宿泊は根室から少し戻った太平洋に面した花咲港の民宿

サンマ漁のため集魚灯を搭載した漁船が停泊。でも最近はサンマは不漁だそうです

 

夕食はオプションで地元名物 花咲ガニをまるごと一杯いただきました。
これだけでかなりのボリュームでした。

殻が固くて棘も多く、身にたどり着くのにかなり難儀しました

という訳で、2日目はここまで。

3日目は風蓮湖、野付岬を経由して中標津に向かいます。

 

 

釧路 根室 野付・・・道東をひとめぐり(その1)

いままで旅行についてこのブログで書いてきたコンテンツは海外ばかり。
その中でも殆どがハワイネタ。
今年は3月に行ったタヒチで5回もネタをアップしました。
でも、国内旅行については出張帰りと達郎ライブのついでに訪れた京都くらいです。

そこで今回は、たまには国内と言うことで久しぶり(15年くらい?)に旅した北海道、それもほぼ初めて訪れた道東の南部について書いてみたいと思います。

そもそも今回このタイミングで 中標津(なかしべつ)にお住まいの方をお訪ねするという目的があり、折角東北海道行くのであればその周囲を回ってみようって事になり、旅の予定を立てました。

3泊4日の旅程はこんな感じ
・1日目 羽田⇒釧路空港 釧路湿原 釧路泊
・2日目 釧路⇒根室 納沙布岬など 花咲港泊
・3日目 根室中標津 野付半島など 中標津
・4日目 中標津空港⇒羽田


羽田 7:40発ANA帯広行き Air DO機材B737-700 は釧路空港定時着、そこからバスで約1時間でJR釧路駅に到着

釧路「たんちょう」空港 KUH

駅前のホテルに荷物を預け、いきなり今回の旅で一番楽しみにしていた観光列車「ノロッコ号」で釧路湿原を巡ります。このノロッコ号という列車は広大な釧路湿原の中を釧路川に沿って縫うように走るディーゼル機関車に牽引される5両連結の100%観光目的の列車です。

右側のベンチは背もたれが反対側に倒せて、左側の景色も楽しめます

街中から湿原に入るとノロッコ号はスピードを落とします。
女性乗務員のアナウンスで湿原についてのガイドが始まります。

するとエゾシカが群れをなして草を啄んでいる姿が・・・

川にはツアーのカヌーが見えます。本当はカヌーツアーに参加したかったのですが、時間に制約があったので今回はパス。(タヒチで十分カヤック漕いだからいいかって?)

ノロッコ号釧路湿原の途中 塘路(とうろ)という駅で引き返します。

帰路 釧路湿原で途中下車、徒歩10分ほどの展望台からの景色

 

さて釧路に戻って、少しお腹が空いたのでこんなところに行きました。

釧路名物「勝手丼

駅近「和商市場」の中にある惣菜屋さんでどんぶり飯を買って、何軒もある海鮮屋で新鮮な魚貝ネタを購入〜ご飯に乗せていただきます。

どのネタも美味しそうで、あれもこれもって選んでいくとすぐに2000円くらいになっちゃう。


ところで、今回の旅行であまり良くない意味で一番印象的だったのが、釧路の町並みが非常に寂れていたこと。朽ち果てたビルやどう見ても10年はシャッター締まったままの店舗など。人通りもあまり多くなく・・・

そんな中で、この店だけはお客さんでいっぱいでした。2階に上る階段で列をなして順番待ちしました

特に地元の高校生が押し寄せていましたが、東京に比べて物価安いとは言えども釧路の高校生って結構贅沢してるんだな、なんて思ったりして

手前:釧路名物「スパかつ
奥:ビーフシチュー&オムライス
どっちも凄いボリューム
確かに特にスパかつは美味しかったです。高校生これの大盛り食べてました。

という訳で、初日の帯広だけでこんなに長くなってしまいました。
2日め以降は近々にアップする事にします。