凝れば凝るほど・・・

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楽園タヒチのローカルアイランドのんびり一周ドライブ〜フアヒネ島に来ています(その3)

タヒチ ウィンドワード諸島 フアヒネ島滞在記の3回目は、レンタカーで島一周したお話しです。

 

今回の旅行は、極めてゆっくりのんびり過ごしたいってのが第一目標であります。

ハワイの様に色々知りすぎているが故に、あれもこれもやりたい、ここもあそこも行きたい、気がつけばスケジュールいっぱい、なんてことが無いようにしたかった訳で。

まあ、そもそもフアヒネ島って娯楽施設などとは全く無縁の島で、やれることと言ったらシュノーケルリングか石を積み上げて作られた古代遺跡巡りがせいぜいです。でも何者にも代え難い色の海と木々の緑がおりなす景色に同化することこそ最高の過ごし方だと考えておりました。

とは言え1日は島のシュノーケリングスポットを巡るクルーズエクスカージョンに参加したいと決めていたので、あとはレンタカー半日借りて島一周してみようか?って事になりました。

ホテルの真向かいがレンタカー屋

と言っても看板と小屋とクルマが数台とまってる駐車場のみ
レンタルの手続きはEuropcarのお姉さんがやってきて、ホテルのロビーで行いました。

レンタルしたのはこのヒョンデの小型車

EUROPCARにはマニュアル車しかありません。右ハンドルならともかく、左ハンドルのマニュアル車は運転したことないんですけど、って言ったらこのオートマ車を他の営業所から運んできてくれました。

 

宿泊しているLE MAHANA(ルマハナ)はフアヒネ島の最南端近くに位置していますが、そこから反時計回りで北上します。

ルマハナ近く 道幅はずっとこんな感じ 
めったに他のクルマとはすれ違いません

クルマがあまり通らないせいか、路上にもこんなのがウロウロしています

素晴らしい景色を堪能するためゆっくり走ります
そして後ろから追い立てられるなんてまずありません

マップにあるPanorama de Tefarerii  
確かにパノラマですね

制限速度は60k/m フランスだから当然メートル表示
この道幅で60キロは結構速く感じます
そもそもそんなにスピード出す気分にはなりません

湖畔の様に見えますが、シーサイドです
舗装はどこもきれいでした

実はフアヒネ島は北側のHuahine-Nui(大フアヒネ)と皆に側のHuahine-Iti(小フアヒネ)という殆どくっついた2つの島から成っていて、Pont de MAROE と言う一本の橋だけで繋がっています。(地図の真ん中あたり)

この橋を渡るとHUAHINE-NUIになります

ここから時計回り フアヒネ ヌイになると景色が変わります。

そして、島唯一の街と言えるFARE(ファレ)

スーパーマーケットは人口(7000人)の割に
結構大きく、品ぞろいもかなりのモノが揃ってます

さすがフランスだけあって大量のバゲット 
60フランって事は84円
日本人にとってのお米みたいな感覚なのでしょうか?

醤油の種類がこんなにありました。
刺身食べますものね、タヒチの人って

お昼ご飯はGoogle Mapのクチコミを見てIZZY'Sというハンバーガーレストランへ

チーズバーガー お味はまずまずと言ったところ 
ショートパスタが付いてきます

街は港に面していて、大型高速フェリーがちょうど出港するところでした。

タヒチ本島まで4時間半だそうです

そんな港も海の中をのぞくと・・・ さすがタヒチであります。

さてHUAHINE-NUIを時計回りに進むと、フアヒネ島紹介YouTubeには必ずと言っていいほど出てくるこんな生物が登場します。

巨大なウナギです。体長1.5mくらいのもいます
ちなみにここは淡水の水路です

帰りは島の逆側、 つまりフアヒネ ヌイは東海岸に沿って南に下ります。

こんな景色になって先ほど渡ってきたフアヒネ イチに通じる橋が見えます。

この高台に至るにおいて日本では考えられない道路に遭遇しました。それは、何と30%勾配、斜度にすると15度。もしここを知らずに飛ばしてきたら登りは兎も角、下りだったらクルマが大ジャンプしちゃうんじゃないか?って思えるほどスリリングな道です。

ここを一気に下って、フアヒネ イチに渡ります

 

ここは雑貨屋かな?

市役所の出張所もこんなにカラフル

ところでタヒチ土産で一番重宝するのは、誰が何と言ってもパレオです。
タヒチが発祥の民族衣装でいかにもトロピカルなカラー、値段も手頃1500~2500パシフィックフラン=2000~3000円くらい。持って帰るのに軽く小さく畳める。
先ほど行ったFAREの街でも色々売ってますが、帰り際ルマハナの近くにパレオの工房がありました。

イニシャルをその場で手書きしてくれます

ルマハナが見えてきました。


今回 8時間のレンタルフィが12,000パシフィックフラン ガソリン代まですべて込みの値段です。ランチタイムも含んで約7時間、100kmも走っていないと思います。


晩ご飯まで、今日も夕陽を見ながらのんびりしますかね。

 

 

 







 

 

 



 

 

楽園タヒチのホテルライフ〜フアヒネ島に来ています(その2)

タヒチ ウィンドワード諸島のフアヒネ島訪問記 前回に続いて2回目です。

今回はホテルライフを中心にご紹介しましょう。

 

HOTEL LE MAHANA エントランスから続くロビー〜チェックインカウンターも茅葺きの南国ムード満点です。

風通しの良さはこれ以上あり得ないといった感じですね。

 

各コテージの外観はこんな具合

見てよ、この空の色と緑のコントラスト

ルマハナ 対岸から見るとこんな感じ

ところで、空港からホテル向かう道すがら送迎のバンのドライバーに、これほど道路が海と接しているけど海水で道やシーサイドに建つ家屋が浸水してしまわないの?と聞くとそれは決してない、との答え。

これで海水が道路までオーバーフローしないのが不思議

ここホテル前ですが、こんな海ぎりぎりにバンガローが建っていて、しかもこの砂浜の幅は毎日変わっていないように感じました

 

ハリケーンとかもそうだし、そもそも満ち潮で海水が押し寄せることないのかと思いますが、どうも大丈夫らしい。そう言われてみると滞在中6日間ですが砂浜の幅があまり変わっていないように感じました。これって沖合のリーフで海水が遮られているせいなのでしょうか?

 

今回フアヒネ島は実質5日間滞在した訳ですが、1日は海から島ほぼ一周のシュノーケルクルーズに参加し、もう1日はレンタカー借りて自力で陸地を一周しましたが、残りはホテル前のビーチでシュノーケリングカヤックをそれぞれ1〜2時間ずつ。

後はホテルでゆったりのんびり過ごしました。

このホテルでは宿泊料金に朝食と夕食が含まれていて、そういった面からも費用的に十分リーズナブルだったかと思います。

その食事について

朝食はビッフェ 種類はそれ程豊富とは言えず、毎日同じなのでちょっと残念でしたが、砂浜の上のテーブル&チェアーで海を見ながら、優しい日差しと爽やかな風、鳥のさえずりの下でいただくクロワッサンとフレッシュフルーツとコーヒーは正にEYE OPENERでありました。

 

いわゆるバゲットタイプのフランスパンがなかったのは残念
 

この自家製ジャム グアバ、マンゴー etc.が美味しかった

 

ルマハナのお昼ご飯はこの一回 
これは別料金2100pf(パシフィックフラン)=2900円くらいだったかな?

いわゆるPOKE 
とろっとしたソースは少し甘めでしたが美味しかったです。

そしてディナーは、二人で前菜1とメインディッシュ2(ウエイトレスが英語殆どダメでそれで合ってたのか分かりませんが)をオーダーできます。毎日同じメニューなのですが1週間はかろうじて違うモノを食べられるかなって感じでした。

       

まあ、色々といただきました。一番美味しかったの最後の2枚かな?ステーキと海老のテンプラ
その他シーフード、チキン、パスタなどなど
それぞれのプレートは2400~3700pfなので、これがすべて宿泊料金に含まれています。(お酒とデザートは別)
あと自分にとって嬉しいというか、鬱陶しくないのはチップは必要ないということ。つくづくアメリカっておかしいと思いますよ。

ヒチでビールと言えばヒナノですね。

 

今までこのブログで何度も書いてますが、自分にとって南の島のリゾートで最も重要視することのひとつは夕陽です。だからリゾートホテルは西向きの海にに面していることがマストと思ってます。そしてマウイ島のようにその海の向こうに島があると尚更GOODです。
ここフアヒネ島の西向きの海岸に位置するルマハナは遠くにライアテア島を望みます。ちょうどこの季節はそのライアテア島に夕陽が沈みます。ただし高い山がある島なのでどうしても雲が出がちですが・・・。

見事な薄明光線

今日も日が暮れます。明日は何をしようかな


楽園タヒチへの帰還〜フアヒネ島に来ています(その1)

今、フレンチポリネシア タヒチフアヒネ島に来ています。

フアヒネ島からライアテア島を望む

 

タヒチには1989年以来35年ぶりの訪問になります。

その35年前は当時モーレア島に有ったCLUB MED(地中海クラブ)に滞在したのですが、その際、島の景色と島を囲む海のあまりの美しさ、さらには気候の良さにすっかり魅了されて、これは絶対にまた訪れるべきところと心に決めていました。しかしその後、より行きやすいハワイに行く回数が増え、気がついたら人生も後半戦に。

 

そろそろタヒチに行かなくちゃと思ったところにコロナ禍騒ぎが巻き起こり、海外旅行どころじゃなくなったのですが、タヒチへの直行便が復活しこの度ようやく実現の運びとなりました。

以前から次のタヒチは、その名前は誰でも聞いたことあると思われるボラボラ島に行こうと思っていた訳ですが、水上コテージで有名なボラボラ島のホテルってその価格がとてつもなく高い。だって1泊15万円って宝くじでも当たらない限り一般市民には手が出せませんよね。

じゃあって事で色々調べた結果、タヒチ本島とボラボラ島の間にあるフアヒネと言う島に行く事に決定しました。折しもTAHITI AIR NUIの日本便就航復活のセールでかなり安い航空運賃とフアヒネ宿泊代が確保できたのも大きな理由です。実は今回計画立てるまでフアヒネ島の存在すら知らなかったんですけどね。

 

ここで、ご存じない方に(意外と知らない人多い)そもそもタヒチってどこにあるのかをご説明しますと、一番分かりやすく言えばハワイの真下、赤道を挟んで反対側(の少し東側)にあると言えばご理解いただけますでしょうか?

 

成田から直行便で11時間、7時間のハワイに比べれば遠いですが、それだけの価値は十二分にあると思います。更に観光客の大部分はタヒチ本島からプロペラ機を乗り継いで、先に書いたモーレア、ボラボラ、今回行ったフアヒネ、さらにはダイビングの聖地といわれるランギロアなどに行きます。そういった意味ではオアフだけに留まる人が大半のハワイとは対極ですね。

 

さて前置きはこのくらいにして、成田にはこのところ寒さがぶり返して国内移動の服を考えてクルマでの移動を選択。8日間で4000円弱で駐車できるABCパーキング利用は高速代を含めてもリムジンバスやNEXTより遙かにリーズナブルです。

ハワイが羽田から行けるようになってから、成田の第2ターミナル何年ぶりでしょう?随分変わっていて結構お上りさん状態に陥りました。

マリンブルーの塗装と垂直尾翼タヒチの花ティアレが描かれたAIR TAHITI NUI BOEING 787-9 BORA BORA号は定刻から若干遅れてテイクオフ。9500km離れたタヒチ島パペーテ ファアア空港を目指します。機内のカラーも南国ムード満載です。

  

トロピカルムード満載の機内

今回のフライトは乗客ガラガラでご覧の通り。ほぼ3人席に1人の割合。当然誰もがこんな具合で睡眠をとっています。

  

チェックインカウンターでエキストラ払ってプレエコで行こうか?なんて話してましたが、やめて大正解!

こんなに空いている飛行機って1980年12月31日に乗ったSFO→NRTのJAL B747以来でしょうか。しかしこれってどうも喜んでばかりいられないみたいです。なぜなら日本からの搭乗客が少なすぎて、また直行便無くなっちゃうじゃないかと。事実、ゴールデンウィーク以降10月末までまた成田便お休みとのこと。AIR TAHITI NUIの就航機材ってB787を4機しか保有していなく、日本からの乗客が少ないためその分をLA便に振り分けるみたいです。さらに現地で聞いたら、この夏は欧米からの観光客でどこの島のホテルも既に満杯だそうです。そうすると日本人はタヒチに行くこと自体非常に困難になりますからね。

さて、BORA BORA号は追い風ジェット気流に乗りシートモニターを見るとなんと音速以上で飛んでます。結果 予定より大幅に早く10時間20分ほどでタヒチに到着することになります。

 

外も明るくなってきました。Flightrader24の予習どおり進行方向右側のシートを確保したおかげで遙か彼方にボラボラ島の島影が見えてきました。あと30分くらいで着陸です。

今回のファイナルデスティネーション フアヒネ島も眼下に!

いよいよタヒチ島パペーテ ファアア空港にファイナルアプローチ。
しかし国際空港の滑走路すぐ手前の海がこんな具合なのはさすがタヒチであります。

当然ながらボーディングブリッジなどなく、長い長いタラップで駐機場に降り立ちます。

いい天気、さすが日差しが強いです。

タヒチ FAAA(ファアア)空港名物タヒチアン生演奏とダンスがお出迎え。

 

それからフアヒネ島のインターアイランド便出発まで3時間以上あります。かなり暑い!それと今が雨期の終わりで結構蒸し暑く感じます。空港でwifi借りて両替して軽食とって時間つぶします。

ようやくAIR TAHITI 70人乗りのプロペラ機ATR-72 TAPUATA号に乗り込みテイクオフ。

これもGoogle Mapで予習通り右側窓際席に座るとすぐに見えてきました。

35年ぶりに拝むモーレア島の姿。ゴーギャンが「古城のような」と表現した山々、陸地の緑と外海のディープブルーにラグーンのターコイズブルーの対比が見事と言うしか有りません。

40分ほどでフアヒネ空港に着陸。

空港から今回宿泊するLE MAHANA HOTEL の送迎バンでホテルに向かいます。乗り込むのは我々のみ。

さすがフレンチポリネシアだけあって送迎のバンもルノーであります

それ程大きな島ではありませんが、道が海岸線に沿ってしかなく、回りくねった道で40分ほどかかります。ちなみにフアヒネ島には現在稼働しているホテルは2軒しかなく、あとは小さなペンションとバケーションレンタルが数件って感じです。

 

わくわくする様なターコイズブルーの海と目に優しい緑の木々を貫くと、

やってきました。これから5泊するル・マナハに到着です。

「イアオラナ」このあと一体何度も聞くことになるこの挨拶と共にチェックイン。すべてがバンガローで20棟30部屋ほど。

我々のバンガローはロビーから50mくらい。レストランも等距離。海まで30m。部屋の広さも十分でしたが、シャワールームにドアがないのにはびっくり。

アクティビティとしてはシュノーケリングカヤック、サップが無料で利用できます。

食事はそのレストランでいただきますが、全朝食 夕食が宿泊料金に含まれています。これも今回の旅行の大きなファクターでした。前回の投稿でハワイの「狂乱物価」について触れましたが、ここではいちいちこれ食べるのに日本円でいくらいくらなんて一度も考えなかったですね。

 

今回の投稿は、ホテルにたどり着いたところまででもの凄く長くなってしまいました。

どうも、端折るには勿体ない事が多すぎるのと載せたい非常に綺麗な写真がたくさんあり、さらにはあれこれ細かく言いたくなってしまう性格からして、この後数回の連載になると思いますが、何卒よろしくおつきあいの程を。

次回は食事、近くのビーチ散策、海辺のリゾートに絶対欠かせない夕陽などについて載せようかななんて思っておりますが、予定は未定です。

タヒチの花ティアレ

 

極私的Apple Music PLAY LIST ♥ ハートウォーミング 編

今サブスクで音楽聴いている人って日本でどのくらいいるんでしょう?
ある調査によると2022年末で2770万人で、そのうち有料会員が約6割とのこと
いくつもある定額制音楽配信サービス利用者に、一番利用頻度が高いサービスを挙げてもらったところ「Amazon Music」と回答した人が最も多く、次いでSpotifyApple Music」「YouTube Music」「LINE Music」に続くそうです。Amazon Musicはプライム会員についてくるので、純粋な音楽サブスクとしてはSpotifyがシェア1位、Apple Musicが2位と思いますが、Spotifyも無料サービスの割合が75%とのことなので、有料ではApple Musicが首位ではないでしょうか?これはiPhoneのシェアが圧倒的な日本では、必然なのでしょうね。

かくいう私もApple Musicのサブスク愛用者です。
使い始めてもう8年くらいになったでしょうか。

Apple Musicには自分でプレイリストが作れて、自分もiTunesの時代からいくつもリストを作っていました。
例えば雨の歌ばかりを集めた「RAINY DAY」とか、ノリのいい曲の「GROOVIN' ROCK'N ROLL」朝の気分に合う「IN THE MORNING」アーティスト別には「STEELY DAN」「DOOBIES」とか。ハワイに行った時に夕陽を見る時に聴く「SUNSET MUSIC」なんてのまで作っています。

で、いつから始まったか不確かですが、最近はその個人プレイリストを公開出来るんですね。

公開したからと言って、当然Apple Musicサブスクに契約していないと聴けないわけですけど、自分の周りにも結構契約している方結構いいらっしゃいますし、このブログネタにもなるなって思い、今回公開用にリストを作ってみました。
今回のリストは、題して「Shumilsson's Recommended Heartwarming sound

ハートウォーミング つまり心が温まる音楽、心臓にジーンとくる楽曲リストです。
結果的にコーラスが美しい60~70年代のソフトサウンドが殆どとなりました。
どちらかというと、それぞれのミュージシャンにとって代表作とは言えない「隠れた名曲集」的プレイリストになりました。
曲数は12曲。何故かというとポピュラー音楽のアナログレコードは、A面6曲、B面6曲と相場が決まっていたから。それにあまり多いと折角シェアしても途中で飽きられちゃいますからね。

シュミルソンがお勧めする心にジーンとくるサウンド集   ←CLICK

まずはお聴き下さい。いつもの様な能書き・御託は後ほどで。

歩きながら、通勤途中で、本読みながら、LINE書きながら、ベッドの中で 何でもいいです。
その時流れてきたサウンドで、「おっ!」って気が引かれる曲がひとつでもあったら、これから載せるジャケ写と文章読んでみて下さい。
そして、そのアーティストのこと興味持ったとしたら、「アルバムを表示」して別の曲聴いて、更に気に入ったら「そのアーティストのその他の作品」もお聴きになったらいかがでしょう?
こういうことが出来るのもApple Musicのいいところですから。

それでは始めて見ましょう。

The Cyrcle (ザ・サークル) THE VISIT
1966年~68年に活躍したアメリ東海岸のいわゆる「ソフトロック」グループ。ブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネージャー)に見いだされ、他にもこの手のコーラスが美しい曲が沢山あります。実は私自身このグループのことサンデーソングブックで今世紀になって紹介されるまで、その存在さえ知りませんでした。

 

Roger Nichols and The Small Circle of Friends  Always You
日本では「渋谷系」の人たちに熱狂的に支持されたロジャニコことロジャー・二コルスは、本当に綺麗なメロディに琴線に響く「あ、そこがたまらない」という一捻りを加えた曲を作る人です。一番有名なのは、カーペンターズでお馴染みの「愛のプレリュード」でしょう。全世界で200曲からのカバーがあるそうです。ロジャニコには「たまらない」曲いっぱい有って今回どれにしようかと迷いましたが、主メロから「たまらない」展開を見せるこのALWAYS YOUにしました。

 

The Lovin' Spoonful  COCONUTS GLOVE
60年代中期から末まで活躍したニューヨーク出身のフォークロックグループ。日本でもCMソングで数曲取り上げられているなど、結構人気があるグループです。このココナッツグローブは彼らの中でも「隠れた名曲」だと思います。バックの控えめなギターと彼らの多くの楽曲で使われているオートハープの音色が和みます。

 

The Monkees  I WON'T BE THE SAME WITHOUT HER  
あのモンキーズであります。
僕自身モンキーズの中で一番好きな曲です。既に人気が凋落し始めていた頃で、ピーターが脱退して3人になってから出したアルバムに収められていた一曲です。キャロル・キングの作曲で、もうたまらないメロディ。主メロもいいし、サビのメロディーに入ったところで更にグッときます。コーラスのアレンジも素敵です。ボーカルはマイケル・ネスミス。この曲知っている人 あまりいないんじゃないかな?

 

The Carpenters  Road Ode (明日への旅路)
お次は誰でも知ってるカーペンターズ。その中でも最も売れたアルバム「A SONG FOR YOU」に収められていた一曲ですが、実はこの曲も私自身2~3年前まで知りませんでした。カレンのアルトはどの曲も心に響きますが、この曲は特に出だしのI've been on this lonly road・・・から直接私の心臓に入り込んできます。また途中でアフタービートのコーラスになるところなんて最高です。リチャードのアレンジの才能を改めて思い知らされます。

 

Nilsson  Caroline
今回のブログテーマを思いついたとき、この珠玉の名盤 「ニルソン ランディ・ニューマンを唄う」から何か一曲は絶対に選ぼうと思ったのですが、昨年に読了したニルソンの伝記「ハリー・ニルソンの肖像」にこのキャロラインがニルソンのための書き下ろしだとあって、この曲を選びました。69年当時この一人多重コーラスはさぞかし録音とミキシングが大変だったことでしょう。更に極々シンプルかつハッとさせるアレンジとこのアルバムを購入した時、高校生の私にも理解できた歌詞が相まって当時とても感動した覚えが有ります。

 

Barry Manilow  A Little Traveling Music,Please
アナログ盤で言えばB面一曲目はちょっと意外なアーティストかもしれません。この曲をサンデーソングブック「トラベルでひとつかみ」で聴くまで、バリー・マニロウってラスベガスのカジノのショーで聞く様なエンタティナー的歌手だと思っていて、全く興味なかったのですが、いやぁこれはいい曲だ。アレンジもいいし、なにしろバリー・マニロウ歌が上手い!

 

Nilsson  LIFE LINE
ニルソンがイラスト動画まで自身で作ってテレビで放映された「オブリオの不思議な旅」は、彼がロック志向になる以前の最後のアルバムで、シンプルなアレンジのファンタジー感にあふれた可愛い曲がニルソン自身の語りとともに納められています。その中でこの曲は、主メロのIs anybody eles hear?とサビの I'm so afraid of darkness・・・ってところがもうたまりません。

 

The Beach Boys  The Warmth of The Sun
いきなり聞こえてくるブライアン・ウィルソンのア~ア~ア~でもうノックアウトされちゃいます。THE WARMTH OF THE SUN~ってところの後追いのコーラスも実に和みます。自分にとってのビーチボーイズはコーラスグループの意味合いが一番強いですね。今でこそ日本でもファンは多いですが、40年くらい前はその存在と一部のヒット曲は知られていても、それ程の人気を博していたわけではなかったかと思います。

自分の思い出としてこんなことがありました。大学生当時通っていた英会話スクールでオハイオから来た音楽好きの教師とレコード屋に行った時、彼BRUCE JACSONは、なんでビートルズはLPが30枚以上売られているのに、ビーチボーイズは3枚しか在庫がないんだ?と驚いていたことがとても印象的でした。アメリカではたとえカリフォルニアでなくてもビーチボーイズビートルズに匹敵する、あるいはそれ以上の存在だったのですね。

 

The Singers Unlimited  London by The Night
今でこそ誰でも知っている「アカペラ」という言葉を知ったのはこのアルバムでした。1971年のこと。前回のブログで書いたテイチク洋楽部がリリースしていて、親父が持って帰ってきたテスト盤で初めて聴きました。4人組でかつ多重録音によるハーモニーは当時ジャズ系ならではの大人の音楽を感じましたが、今聴くとなんと言っても紅一点ボニー・ハーマンの声が抜群に素敵です。そして多重録音ならではの彼女の声に包み込まれる感覚が味わえます。それにしてもなんて魅力的な声なんでしょう。自分にとって古今東西最もお気に入りの女性歌手は間違いなく彼女です。

 

The Kinks  There's a New World
今回で一番異色な選曲だと思います。ユー リアリー ガット ミーを始めとするヒット曲がたくさん有る60'sロックンロールグループのキンクスですが、こんな空気感を持つスローナンバーがありました。ローファイだからこそこう言った雰囲気が出るのでしょうか。何か60年代の映画の1シーンにかかるサウンドトラックの様にも聞こえます。

 

Michael Nesmith & The First National Band  The Crippled Lion
B面最後の曲は、私の「ハジレコ」つまり人生で初めて買ったレコードです。マイケル・ネスミスのモンキーズ脱退後初アルバム Magnetic SouthのA面4曲目。もう最初の4小節でやられちゃいました。こういう「泣き」のフレーズに弱いですね。マイクは元々カントリーミュージックの要素が強い人で、この曲もペダルスティールが使われたりとあまり日本人好みのサウンドではないかもしれませんが、このメロディーは何物にも代えがたいものがあります。

と言うわけで、今回のマイ プレイリストの解説は終わりですが、もし最後まで聴いていただいた方は如何に思われたでしょうか?
もちろん音楽は聴かれる方の趣味趣向、好き嫌い、年齢よる要素等がが大きく、このプレイリストがつまらないと感じる方もたくさんいらっしゃるのは百も承知です。
ヒップホップ命の人に受け入れられるわけないし、打ち込みにファルセットでいきなり1オクターブ上がっちゃうJポップばっかり聴いてる人には退屈この上ないかもしれません。
でも、どれか一曲でも「あ、この曲結構いいかも」って感じてもらえれば嬉しいです。
更には、単にスローで優しいメロディだけの曲は、このリストには一曲も無いって感じてもらえれば更に嬉しいです。
次回はGROOVIN’ ROCK'N ROLLをやってみたいと思います。
これも一筋縄ではいかない曲ばかりになる予定です。乞うご期待!(誰も期待してないか ^_^;

みんな財布の心配ばかり「ハワイはもういいよね」

2020年8月「オアフはもういいよね。GO TO NEIGHBOR ISLAND」という投稿をしました。
その後コロナもほぼ収束し、昨年からハワイへ向かう日本人観光客の数も大分回復してきたようですね。

コロナ前と比べるとそのハワイ旅の模様をYouTubeで上げている人がとても増えました。

YouTubeにハワイ旅行が出てくるとついつい観ちゃうんですよね。

以下、ハワイYouTuberあるあるです。

羽田、成田での出発から映像が始まります。中には空港のビジネスクラスラウンジに入って、この後飛び立ってすぐに夕食出るにも拘わらずがっつりカレーとか食べちゃってる人って結構います。Cクラス乗るんだったら機内食の方がずっと豪華で美味しいのにね。その機内ミールの映像も朝晩ともお決まりですね。

で、大体の人はホノルル空港に着陸の少し前からiPhone、GO PROをふたたび回し始めます。

 

着陸まであと1分の画像



H1をワイキキに向かいます。虹が見えるとテンション一層上がります。

その後空港出口からUberやタクシーの中からワイキキまで、そして必ず出てくるのがホテルの部屋紹介。特にチェックインしてドア開けるところから窓のカーテン開けラナイに出て、「目の前が海でーす!」とか「ダイヤモンドヘッドが見えまーす!」とか「ホテルとホテルの隙間にちょっとだけ見える」とかね。

あとはワイキキをうろうろ、行く先はABCストア、フードランド、ドンキ、アラモアナ・・・少し離れたところでせいぜいダイヤモンドヘッド、カイルアくらい?ハナウマベイに行ってる人って殆ど見当たらないですね。ハレイワ行っている人も最近は意外と少ないと感じます。

しかし7泊9日でずっとワイキキにいるって、なんて勿体ないんだろう なんてこの手のYouTube見るといつも思います。折角8時間もかけて太平洋渡ってくるんだからね。

ハナレイとか行ってみなよ、素晴らしい景色、素晴らしいホテル、素晴らしい夕陽、素晴らしいレストラン、素晴らしいビーチとかあるんだけどなぁ

さらにはポイプでもワイレアでもカパルアでもハナでもコナでもヒロでもマウナラニでもコエレでもいい。まだまだ素晴らしいリゾートたくさんあるのにね。

それはそうと話をHawaii YouTuberに話を戻すと、これは10人が10人とも同じ事に触れれています。と言うかそれを第一のトピックにしてしている人がほぼ9割です。

それは、もうとんでもない物価高について。それに円安が輪をかけます。

YouTubeのタイトルだけ切り取ってもご覧の通り

もうこんな動画ばっか。中にはこんな方もいらっしゃいます。

買ったもの以外に見たものも全部こんなことやってるけど、一体何しにハワイ来たんでしょうね。  

他の人だって、ABCストアで買い物してこれ日本円でいくら、マクドナルドの朝ご飯でこれだけかかった!、え?水1本でこんなにするの!etc.

もう気になって気になってハワイ旅行楽しむどころじゃないですわ。

食事もレストランなんて行けない。ただでさえ高いのにチップが最低で20%だって?!

それに1$ 150円掛けると・・・

だからご飯は殆どがテイクアウト。

見てて思わず笑っちゃったのがトランプタワーに5泊してるのに晩ご飯が毎日テイクアウトのポケ丼食べてる人。それって本末転倒?あちょっと違うか。でも「あんたらアホちゃうか?」って思っちゃう。
まさかハレクラレにはいらっしゃらないと思いますが・・・。いや、分かんないか???

自分にとってのハワイ旅行のイメージって1ドル90円くらいだし、レストランのチップも10%で十分だった。州税の倍も置けばでOKだっていわれたよ。リゾートフィ?なにそれ?

 

自分は恐らくハワイ30回近く行ってると思いますが、こんな状況を見るにつけ今はもう行く気を失っています。
オアフはもういいよね」が「ハワイはもういいよね」になってしまいました。

 

で、来月 とある南のリゾートに行く予定です。ハワイくらい いやそれ以上に気候が良くて、海が恐ろしいくらい綺麗で、緑もすごく多くて、空気がとっても澄んでいるところ。
円安?物価高? ハワイほどじゃないはず。それに朝晩食事も付いてるし、チップも要らないし、買い物もそれ程しないと思うし、と言うか売ってないだろうし・・・。

shumilsson.hatenablog.com

 

 

ところで、もしこれからハワイに行く計画がある方は、先に挙げた人たちとは違って、ホノルル在住のこのYouTuberの投稿ががとても参考になると思います。是非ご覧下さい。

www.youtube.com

 

 

 

Dialogue about 30th Anniversary

インスタ見て驚いたんだけど、オマエの会社って創立30年なんだって?

そうなのよ、1994年の2月4日設立だからちょうど30年経ったわけですよ。

30年続くって凄くない?

いや正直特に死ぬほどの努力した訳でもないし、首括るほどのピンチになった事もない。気がついたら30年経ってたって事かな。

ご謙遜を

いや本当だよ。だけど周りの人達に助けられたというか、いい人達と知り合えていたというのはあったよね。

あれ?たしか前の会社とケンカして飛びだしたんじゃなかったっけ?

いや喧嘩って程のもんじゃないけどさ。でも ザケンナ!って思ったのは確かだった。

たいして変わらないじゃん

せっかく獲った新規のスポンサーを、そこの仕事をやるな なんて言われたら、誰もが頭にくるでしょう?

取引するなって、なんかヤバい会社だったんじゃないの?

NO NO! アメリカの商社だし、ましてや初回は前金で振り込むって言ってくれてたんだよ!

じゃあ、なんでだ?

よくよく調べたら、その時自分が働いていた広告会社と取引が有ったクライアント(ここでは仮にA社とします)がそのアメリカの会社と犬猿の仲だったのよ。それでもってそのA社の社長が、ボクが獲ってきたアメリカのT社と取引するなら、決まっていた広告全部引き上げるって広告会社に脅しをかけてきた。

そりゃないぜ!別にオマエが担当してワケでも、機密をバラすワケでもないだろう?

そんなの当然だけど、商売上で敵対関係だったんだね、以前から。それで当時の上司がボクにこう言ったんだ「悪いけどオマエの獲ってきた仕事は諦めてくれ。だけどA社の社長も何かに付けめんどくさい事言う人だから、こじれたらオマエの方にしてやるからさ」

酷い事言うね

だろ?オマエの方にしてやるからって。オレもそうだけど、それってT社の社長に対して失礼じゃないか!

そりゃそうだな

実はちょうどその頃転職を考えていたんだよね。

以前のブログでも書いた様に私は学卒以来ずっと広告を生業としてきましたが、新卒で入社した中堅広告代理店で13年ほど働いた時点、つまりバブルがはじけて大手企業からも広告予算が削減されはじめた頃に、そろそろ転職しようかと言う意識が頭をもたげ始めました。

当時オフィスで周りを見ても中年に差し掛かった中間管理職を見ていて、この先10年先に自分はああ成りたくはないな。それに当時は転職のラストチャンスの年齢は何故か35歳というある種の強迫観念みたいなものが有って、さらには担当していた大手企業の仕事も少し減ってきたタイミングもあったのですね。

でも折角いい仕事獲れたし、ましてや出張とか撮影でLA行けるじゃん。だったらこの会社でもう少し頑張ろうかって。

でもそんな事言われたらプライドが許さなかった訳だ。

プライドとかそんなカッコいい話じゃないけど、そりゃないでしょ?ってことで、この仕事と今まで自分が開拓した仕事合わせて持ってけばどこか雇ってくれる代理店も有るんじゃないかと・・。それで、小さいけど仕事出来るヤツが揃ってる知り合いの代理店に押しかけ女房が如くもぐり込んだ訳。

押しかけ女房ってそんな表現今や誰も使わんよ。で、そのアメリカの仕事は上手くいったのか?

そうね、会社が有ったLAにも何度も行ったし、モデルも雇って貰って撮影もしたよ。さすがロスアンジェルスだね、ニューポートビーチとかラグナビーチとかペッパーダイン大学とか、もの凄く絵になるところがたくさん有っていい写真が撮れたよ。

 

独立したのはその後か?

そう、転職してからたったの1年後だったよ。雇ってくれた知り合いの社長には申し訳なかったけど、幸か不幸かその代理店の元からいる社員が喧嘩ふっかけてきた。

よくケンカ売られるね、オマエ

要はその「元からいる社員」にしてみればボクはソコソコの数字を作れていたから、逆に目障りだったんだろうね、きっと。で、T社の社長はそれを察してなのか、それとも偶然だったのか、ボクにこう言ったんだ。「日本で広告代理店なんてすぐにつくれるんだろう?」

オヤ!そんなうまいハナシってあるんだね!

あったんだよ、それが。
じゃあって事であっという間に日本で会社が出来ちゃった。

それから30年ってワケか?

そういうこと。

でさあ、最初にいた会社はどうなった?A社とは上手く商売できたのか?

最初は良かったんだけど、その内A社が大きくなっていくにつれ、当然だけどD社とかH社に鞍替えさ。そうこうしているうちにその広告会社が自己破産。

倒産じゃなくて破産なのか?

一時は300億くらい年商があった会社が潰れちゃうって、よっぽど大きな不渡りでも喰らわない限り常識ではあり得ないんだけどね。

そうだよな、広告代理店って不良在庫とかあり得ないだろうし、何か投資の失敗でもあったんだろうか?

どうなんだろう?よく分からないけど、ワンマン社長の放蕩ぶりはよく聞いてた。でね、その会社が潰れたのが2月26日で巷では広告業界の226(ニーニーロク)事件と揶揄されたんだよね。ボクの後に辞めていった先輩も言ってたよ、ざまーみろ!ってね。まあそんなハナシは今更どうでもいいんだけど。

オマエんところはそれからは順調そうだったじゃない?

まあ、順調だったと言えば順調だったかもしれないけど、もっと色々出来たかもね。元々野心が有る訳でもなかったし、思い切ったことエーイヤッチャエ!ってタイプじゃないことは知ってるでしょ?

まあ、そうだよな。ヤッチャエ日産てか?

やめてくれ!そのCM一番嫌いなんだよ。あとは、周りで会社大きくしている人ってもっともっと勉強してるよな。勉強足りなかった、反省してます。

今更そんな事言ってどーすんの?

今までの経験則に頼りすぎだったよね。応用レベル止まりだったかな。

でも30年も続けられたんだからいいんじゃねーの?30年続く会社の確率って0.2%だってよ

それもこれもお付き合い頂いたみなさまのおかげです。

で、これからは?

どうしたもんかねぇ、なんて言うと他人事のようだけど、自力を発揮出来る仕事はもう少し続けていこうかと。

これまでお世話になってきたお取り先さんのお力になれる部分だけはやらせていただこうかと思っております。

うまくまとめたな

 

そんなに建ててどーすんの

それはあんまりに突然な

ネコの額の庭の前

25階マンションが

タケノコみたいに生えてきて

空がふたつに割れちまって・・・・

俺の俺の俺の空を返せよ!

山下達郎 俺の空

 

私、現在の府中の分譲マンションに移り住んで、ちょうど20年になります。 所謂、駅近タワマンってヤツなんですが、その2003年時点で府中駅周辺で3棟目の超高層住宅。ちなみに建築基準法で60mを超える高さの住宅が「超高層」という概念らしいです。 60mと言うことは20階建てくらいになるのでしょうか。さらには「高層住宅」は31m〜60m、つまり10階以上19階建てくらいまでを指すようです。

ここ1〜2年自宅の周囲にその高層住宅がそれこそ「タケノコ」みたいに生えてきています。 自宅の住所は府中市宮西町1丁目、おおよそ200m足らず四方の小さな地域ですが、30階、20階、17階、10階の高層〜超高層が4棟建っています。 

それがこの1〜2年で現在建築中が3棟(19階、15階、15階)建築予定の更地が2箇所(15階、14階)、さらには恐らく高層住宅建設用に取り壊しを待っている区画が2箇所あります。この写真をご覧頂ければお分かりかと思いますが、この宮西町1丁目には結構広い寺院と付属の墓地、コナミスポーツセンター、さらには府中市合同庁舎がこの狭い地域に存在していて、残りの土地にこの先3年も経てば10棟以上の高層マンションが存在する事になります。

でもよく考えてみれば、新宿まで20分ちょっとの京王線特急停車駅から徒歩1〜4分のところ、つまり商業地に今更低層住宅、ましてや一軒家は考えられません。 

なので高層の集合住宅がどんどん出来るのは当然と言えば当然ですが、以前から低層階住宅に住んでる人たちにとっては正に「俺の空を返せよ!」状態となるのでしょう。

で、現在建築中の物件はこんな具合です。

 

こんな風に更地になってるところを含めて、建築計画のサインは・・・

 

 

さらにはいつ取り壊されてもおかしくない一角 。ここ すべての建物は営業終了して立ち入り禁止になっています。

 

この宮西町1丁目の状況をまとめるとこんな感じになります。

赤字が現在建っている物件、青字が建築中物件、緑字が更地の建設予定地、は取り壊し間近な一角。

こうしてみるとこの狭い面積にこれだけの高層マンションが立ち並ぶってすごいというかちょっと異常ですよね!                               

しかも、この宮西町1丁目を取り囲む同2丁目3丁目、宮町、そして京王線を挟んだ寿町もこんな具合に高層住宅が所狭しと建ち並んでいます。

しかし、先ほどにも申したとおり新宿まで25分以内の府中駅まで徒歩5分以内、さらにJR武蔵野線南武線が通る府中本町駅も10分少しという交通至便な場所に、何故近年これだけの物件が次々に建てられているのでしょうか?

これ私の想像ですが、府中は商業地としても非常に古い街で今まで再開発が進んでいなかったからと思います。それが駅前の大規模開発〜駅直結の商業施設+高層マンション建設が一段落し、今度はそのすぐ隣の宮西町の再開発だってことになったのでしょう。

 宮西町1丁目の真ん中を東西に通る「国際通り」という名の一本道は、東南アジア系のおねーさんが沢山いらっしゃる正に「国際的」で猥雑な飲み屋街だったのを、一気にぶっ壊して片っ端からマンションにしてしまおう〜こんな便利な場所だったらマンション買う人イッパイいるよ!オマケに通りもキレイになるよ!ってゼネコンが考えるのは不思議なことではありませんからね!

ところがここで、これらを買う人が本当にいるのか?という疑問が湧きます。 なぜなら価格が相当に高いんじゃないか?とは誰しもが思う事でしょう。 実際にこれらの看板を見ると50㎡で5千万超となっています。

この広さを買う人って別の分譲マンションからの住み替えって考えにくいですよね。家族が増えるにしたがってより広い住宅に住み替えるのは当然のこと。

現在建築中および建築予定物件を見ると50~60㎡が殆どで、80㎡超の部屋は見当たりません。 じゃあ所帯を持って初めての分譲不動産にこれだけのお金を払える人ってどれだけいるんでしょうか? ダブルインカムだったらなんとかなる? 逆に子供が独立した初老の夫婦が郊外の広いマンションを売却して狭くても便利な物件に買い換えるとか?

ところが、先日ある人の会話を耳にして、あっそうかも?と思ったことがありました。

バブルの頃、つまり30年以上昔だと金利が高くてその当時2000万借りたのと、現在の超低金利で4000万円借りるのを比べたら、今の方が総支払額が少ない。

 え、本当かよ?と思って、自分の例を思い出して大手不動産サイトのローン試算表に数字を入力してみたら、驚くべき事実が発覚!   

 私が初めてマンション購入したのは1986年のこと。バブル景気が正に始まらんとする頃でした。 田園都市線宮前平徒歩15分で2600万円くらいだったと思います。この時2000万住宅金融公庫と厚生年金から融資を受けましたが、年利6.5〜7.2%だった記憶があります。 この数字を先のローン試算表に入力したところ・・・・

2000万円 35年固定金利7% 〜返済総額 5367万円!

それがもし今の金利

5000万円を35年固定金利1%で借りたら 〜返済総額 5928万円!    

ましてや変動金利だと0.3%切るのもある訳で、あの当時の2.5倍借りたとしても返済総額はそれ程変わらないんですね。

ここのところの大企業は別として、給料が上がらないと叫んでいる多くのサラリーマンにとっても住宅ローンに関してだけ言えば、生涯賃金に占めるその割合は30年前とあまり変わらないじゃないか?という事なのでしょう。

ただし、30年前はその後の数年のバブル景気で不動産価格が暴騰し転売で資金的余力が出来た人も多いはずだし、またバブル崩壊以降の金利下落によって殆どの人が低金利ローンに借り換えていると想像します。だから5367万円を払った人はまずいないでしょう。(もしそのまま7%で35年払い終えた人がいたらそれはそれで凄いですが・・)

逆に、現在の低金利がいつまで続くのか?これ以上金利が下がる訳はないので、この5928万は一生ついて回る事になるのでしょう。この先家族が増えて80㎡に買い換えようと思ったらさらにローン残高は増えますよね。

しかしもう一つのファクターがあって、先の5000万借入パターンで月額返済額は約12.6万円です。(ボーナス払いナシ)私の知り合いがたまたま私と同じマンションの50㎡台の部屋を賃貸しているのですが、その家賃がなんと月額17万円とのこと。

だったら買っちゃおうか!?って事になるんでしょうか。

まあ、話は長くなっちゃいましたが、交通至便な駅近の分譲マンションは今が買い時なのでしょうね、きっと。

サラリーマンにとって通勤時間が短いってとっても重要です。しかも仕事で疲れ切ったカラダで駅からちょっと歩いたらあっという間に家に着くって、こんな楽なことはありませんよ!