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nothing but STEELY DAN

今回は1973年に初めて聴いてから半世紀近くずっとファンのティーリーダンについて、私的思い出を述べてみたいと思います。

先月に新譜として彼らのライブアルバム「Northeast Corridor: Steely Dan Live!

更にドナルド・フェイゲンの歴史的大傑作 THE NIGHTFLYを曲順もそのままに全曲演奏した「The Nightfly Live」が発売されたことで、このタイミングで書くことにしました。

しかし、これがいきなりサブスクで聴けちゃうって、いいんでしょうかね?

 

彼らの音、そして名前を初めて聞いたのはその1973年1月の事だったかと思います。当時ラジオ関東(現在のラジオ日本)毎週土曜日の22時から25時まで放送されていた「全米トップ40」というビルボード上位40曲を全曲紹介するアメリカの番組でのこと。その日本版のDJは湯川れい子さんでした。

当時、洋楽一辺倒な高校生だった自分にとって、シンガーソングライターやハードロック以外にソウルミュージックもなかなかシブいな(シブいって表現が結構はやってて、単に格好いいんじゃなくって一癖あるのがいいんだよね、って感じ)と思い始めた頃。

カーティス・メイフィールドのSUPER FLYやテンプテーションズのPAPA WAS ROLLING STONE、ビル・ウィザース LEAN ON ME などなど。

そこに ティーリーダン DO IT AGAIN と言う曲が出てきました。

曲調と歌声からてっきり黒人(グループ)だと思い込んでたのです。

偶然保存していた1973年1月第1週のランキング表 それこそ、なかなかシブい曲だよねな〜んて思っていたらチャートをどんどん上昇して、結局デビュー曲にしてベスト10ヒット(最高6位)になりました。

ちなみに、後々サンソン(山下達郎のサンデーソングブック)でエレキシタール特集が組まれた際、このDO IT AGAINこそ世界初のエレキシタールによる間奏ソロが奏でられた曲として紹介されました。

で、次のシングルReelin' in the Years(邦題:輝く季節)で、あら彼らって白人のロックバンドだったのね!って気づいた次第であります。

複雑なリズムにコーラスが絡み、ツインリードギターのハーモニーなどなど、粋がって複雑な音を欲していた高校生にとって、正にジャストミートの音楽でした。

この2曲が収録されたアルバムCan't Buy a Thrilllの次作 Countdown to Ecstasy(なんて意味深なタイトルでしょう)が、自分にとって初めて手に入れたSTEELY DANでした。

実は以前のブログでも書いたとおり、自分の父親はレコード会社の洋楽部に勤めていて、STEELY DANの所属レーベルであったABCレーベルの販売権を獲得を試みていたらしく(結局契約には至らず)見本盤として家に持ち帰ったモノを息子が気に入ってずっと聞いていた次第でありました。

ところでこのロンTいいでしょう?アメリカから通販で買ったんです。

その後、シングルカットされてヒットしたリキの電話番号を含むPretzel Logic (しかしなんでこの日本タイトルが「爽やか革命」なのでしょう?)、Katy LiedThe Royal Scamと どんどんロックミュージックとしてハイブロウになっていきました。

従来のロックミュージックの域を超えたアレンジ、複雑なリズムパターン、ジャジーなギターなど、モダンジャズは敷居が高くて踏み出せなかった高校生にとっては、ちょうどいい背伸び具合だったのです。

そうやって考えるとこの数年後に流行するクロスオーバー、フュージョンを先取りしてたんですね。 そして大学生になってリリースされたのが、今に至ってもロックミュージックの最高傑作の一枚として、その録音技術を含め評価され続けているこのアルバムでした。

お遊びで所属していた音楽サークルでは、ライブハウスに出演していた先輩方の間でもこのアルバムの話題で盛り上がっていた記憶があります。

聞き手の音楽ファンも含めてですが、ポピュラーミュージックの作り手側として、このアルバム以前と以後では音作りの意識が変わったとさえ言わしめたアルバムでした。 自分も初めて聴いた時、こりゃ完璧だ!もうなんも言えね〜!って思いましたもの。

その次のアルバム Gauchoはちょうど発売時期にLAに遊びに行くことになっていたので、折角だから日本にはまだなかったTOWER RECORDで買おうとサンセットまで行ったものの、レーベルの契約の関係上(だと店員は説明してくれた、と思う)ここでは売っておらず、帰ってから新宿のディスクユニオンで買ったと記憶しています。

先ほどのajaでも書いた様に、この頃のスティーリーダンが作る作品のクオリティは他の追随を許さず、その一例として録音技術を含めたサウンド面で、このGauchoに納められているTime Out of Mindとこの4年後に出たマドンナのLike a Virginを聞き比べれば良く理解できると思います。

まあ、私が評論家みたいな事をくどくどと書いても、スティーリーダンは日本でもあまりにも有名で、かつ絶大な人気があるのであまり意味ないと思います。なので彼らの音楽の内容はこのくらいにして、来日公演に行った際の思い出を少し書いてみようと思います。

最初にライブを観たのは、1994年代々木第一体育館、初の日本公演でした。この時はスティーリーダンとして活動休止から10年以上ぶりに再開したライブツアーの一環で、この時はドラムがWEATHER REPORTのピーター・アースキンだったことがとても嬉しかった覚えがあります。これでギターがラリー・カールトンだったらなぁ、なんて無茶な事思ったりしてました。 演奏された全曲知っていて、演奏力には全く不満はないというか、非常に上手いので大いに楽しめました。

次回は96年の日本武道館。この時の印象はあまり無いって事は94年とあまり内容変わらなかったのかな?

そして私が体験した彼らのライブでなんと言っても最高だったのは、2007年のBillboard TOKYOこけら落とし公演。 Billboard TOKYOにいらした事ある方ならお分かりでしょうが、ここは食事しながらライブを観る形なので、席ではなくテーブルで予約します。

2日目の8月19日公演をごく普通に電話で申し込み、会場で席に案内されてびっくり。 なんと真ん中の一番前、ドナルド・フェイゲンから1m! 席に座ったまま手を伸ばせば彼の弾くRhodes Pianoに触れてしまう距離。ご一緒した方、そして同じテーブルになった男性とは「ありえねー」を連発。その男性の連れの若い女性は「そんなに凄い事なんですか?」なんて言ってましたが、我々3人「これ大変な経験なんですよ!」正に猫に小判 状態(笑)

ちなみにチケット代2万6千円! でもスティーリーダンここで観れるなら十分リーズナブルと思いましたけど。

さあ演奏始まりました。殆どの観客は演奏される複雑なリズムに合わせて自身の太ももを叩きます。アレンジがほぼレコード通りで演奏され、どこでブレイクが来るか、どこでリズムが変わるか分かっているので、みな同じように体を叩き、揺らします。

自分はドナルド・フェイゲンをステージが近すぎるがため45度の角度で仰ぎ見ながら、腕達者達の最上級の演奏に乗った彼のボーカルを堪能しました。もう一人のウォルター・ベッカー(彼も5mくらいの距離)はギターを演奏しつつ曲とメンバー紹介といったスポークスマン的な役割でしたが、一曲Hitian Divorceを唄ってくれました。

そういえばこの公演の5日前、ajaジャケットを飾る世界的ファッションモデルの山口小夜子が亡くなりました。そのことに対してのコメントがあるかな?と思っていましたが、それはなかったですね。

今回、このブログを書くにあたって、STEELY DAN 色々と聞き直しましたが、デビューアルバムから7年でこれだけのアルバム出して、更にどのアルバムも独自のカラーを持ち、そのどれもが今聴いても古くさくないどころか、特にajaやGauchoなどは現時点でもし新譜としてリリースされても最新のサウンドとして受け取られるでしょう。

得てしてその時代のトレンディ(死語)なサウンドは、その後の新しいトレンド、流行に追い越される為にある、トレンドなものほど陳腐化が早い、と言われます。 しかし、70年代に当時の最新のサウンドとして多くの支持を得ていた彼らの音楽が、今現在としても最新であり続けるのは、STEELY DANは決してトレンディでは無かったのでしょう。