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ハリー・ニルソンの肖像

このハードカバーを少しずつ少しずつ読んで、やっと読了しました。

THE LIFE OF A SINGER SONGWRITER 邦題「ハリー・ニルソンの肖像」であります。 Harry Nilsson についてはこのブログの第2回投稿で触れていますが、自分にとって最も敬愛するシンガー&ソングライター であります。

アメリカではビルボードのナンバー1ヒットもあり、グラミー賞も2回(ベストボーカル賞)も獲っています。しかもその2曲ともスタンダードナンバーとなっているので「誰でも知ってる」ミュージシャンだと思いますが、じゃあ日本ではどうかって言うと70年代の洋楽オールディーズが好きな方以外、特に30代以下の方には殆ど知られていないと思います。

「ニルソン」ことハリー・ニルソン(ハリー・エドワード・ニルソン3世) は、1941年6月15日ニューヨーク ブルックリン生まれ。

キャロル・キングもブルックリン出身ですね。

自分がどういう経緯でニルソンのファンになったかは、その第2回ブログNILSSON SCHMILSSONに書きましたが、当時高校1年生の自分にとって誰か一人でもいいから心から好きになりたい外国人ミュージシャンを何故か探していて、そこにピッタリと嵌まったのがニルソンだった訳です。

ニルソン最大のヒット曲 WITHOUT YOUが収録されたNILSSON SCHMILSSONの次に購入したLPが"Harry" 邦題「ハリーニルソンの肖像」、そう今回の書籍のタイトルにもなったアルバムでした。

いわゆるソフトサウンディングのアメリカンポップミュージックは、バラエティに富みちょっとだけひねりが効いた曲調と耳に優しいボーカルがとても自分に刺さり、このアルバムを契機にニルソンが大好きなミュージシャンになったのであります。

折しも「シンガーソングライター」という言葉が出始めた頃で、先にも述べたキャロルキング、エルトンジョン、ジェームステイラー、ジョニミッチェル、ポールサイモン、キャットスティーブンス などなど多くのミュージシャンのヒット曲がラジオからよく聞こえてきましたが、自分にとってのNo.1はこの時からニルソンになったのでした。

その後、メジャーデビュー作「パンディモニアム シャドー ショウ」2ndアルバム「空中バレー」そして当ブログで何故か圧倒的アクセスが多いランディニューマンと作った「ニルソン ランディニューマンを唄う」を揃えて聴くに至って、もうニルソンから抜けられなくなりました。


「なんて素敵な曲なのだろう」

そして彼の優しいボーカルは心の奥まで届きました。

また、いわゆる一人多重コーラス。特に「ランディニューマンを唄う」をヘッドフォンで聴くとアルバムどのナンバーもニルソンの歌声でカラダ中が包まれたかのようになります。

だから山下達郎オンザストリートコーナーを初めて聴いた時、それ程驚かなかったのもニルソンを聴いていたからだと思います。

さらには、ニルソン自身がストーリーとアニメのキャラクターまで制作して全米にテレビ放映されたファンタジーとも言える「オブリオの不思議な旅」も、とても琴線に触れるメロディとこれも一人多重のボーカルを極めてシンプルなアレンジに乗せて奏でられ、大好きなアルバムとなりました。

今回この500頁に及ぶ書籍を読むにあたり、登場するアルバムそして一曲一曲をじっくり聞きながら向き合ったため読了に1年以上かかってしまいました。 今は便利な時代で、サブスクにほぼ全曲載っているため、いちいち昔買い揃えたアナログ盤を引っ張り出さなくとも、スタバでiPhoneで聴きながらなんて事ができます。 さらに、ニルソンがメジャーデビュー以前のアルバムで自分が持っていない曲を初めて聴くことが出来(こんなものまでAppleMusicに載ってること自体が驚きでしたが)、さらにはその作品が思いの外素晴らしかった事は収穫でした。

 

先ほど記したメジャーデビュー作1967年発売の PANDEMONIUM SHADOW SHOWYOU CAN'T DO THATという曲が収録されています。そう、ビートルズの楽曲です。 この曲はYOU CAN'T DO THATをベースにしてそれにプラスして SHE'S A WOMAN,I'M DOWN, DRIVE MY CARから始まりSTAW BERRY FILDSで終わるまで、10曲以上のビートルズナンバーを今時の言葉で言うと「マッシュアップ」した楽曲なのですが、これを1968年当時聴いたジョン レノンからの「君は素晴らしい」の国際電話を受け取ったのが、いい意味でも悪い意味でもニルソンの人生を変えることになります。

いい意味は、解散前のビートルズからジョンだけでなくポール、ジョージそしてリンゴからも賞賛を浴びた、と言うことは世界中のポピュラーミュージックファンにニルソンという名を知らしめた事。

悪い意味は、70年代中盤からのレノンとの色々な意味での「悪い付き合い」によって、ニルソンの美声と私生活を台無しにして、その死期を圧倒的に早めてしまったと言うことです。 もちろんジョンレノンが悪人という意味ではありません。要はニルソンがいい気になりすぎたって事と理解します。

 

自分にとってのハリー ニルソンは、1971年のアルバム NILSSON SCHMILSSON B面最後の曲 I NEVER LEAVE YOU が最後のナンバーです。 このアルバムはそれまでと違ってイギリスで録音されたものですが、このI NEVER LEAVE YOU は従来のアメリカ録音のストックでした。もちろんWITHOUT YOUを始めとしてMOONBEAM SONGDRIVING ALONEなど一人多重コーラスとキャッチーな歌唱で琴線が刺激される好みのナンバーもありましたが・・・。

それが、次作のSON of SCHMILSSON になると従来のニルソンサウンドとはより乖離してきた感が強く、ボーカルも繊細さが失われてきたというか、よりロックシンガーのそれになった事に自分としては正直不満でした。さらにはジョージやリンゴを含めて有名ミュージシャンを集めてのいわばロックンロールセレブパーティ色が強いサウンドとジャケットに触れるにつけ、これは僕らが思い描くニルソンじゃ無かったのです。

スタンダードナンバーをフルオーケストラをバックに唄うA LITTLE TOUCH OF SCHMILSSON IN THE NIGHTを経て、ジョンレノンプロデュースのPUSSY CATSがある意味ニルソンの終わりの始まりと感じます。

この本で詳細が明かされますが、この時のアルコールとクスリとジョンとの馬鹿騒ぎで、声と(敢えて書くけれど)正常な思考の頭脳を失ったと思います。

しかしこのPUSSY CATSも含め、この後制作されたアルバム つまりDUIT ON MON DAISANDMANTHAT'S THE WAY IT ISKNNILLSSONNにおいて、楽曲としてはニルソン独自の曲調、アレンジ、ボーカルが自分にとってお気に入りのナンバーが何曲か存在しています。先に述べた様にこの書籍に出てくる曲目のエピソードを読む際に改めてその曲を実際に聴いてみると、なかなか優れた楽曲も存在していたことを認識できました。

また、萩原健太さんもこの時代のニルソンは逆に嵌まると抜け出せなくなる魅力があると書いています。

がしかし、今回この書籍の後半で描かれるこのあたりの時代から亡くなるまでのニルソンは、かなり辛いものがあります。

1980年12月8日にジョンレノンが凶弾に倒れてからは銃規制運動の先頭に立つなど、音楽界の表舞台にもしばしば登場していましたが、彼の作る楽曲はヒットチャートに上ることも無く、結局はアメリカンポップミュージックの中で埋もれる結果になったことは、自業自得と言えどもとても残念です。

そして1994年1月15日に彼の訃報が届きました。

52歳の早すぎる死でしたが、あれだけ無茶したらそうなるのも必然だよねとこの本を読むにあたって、思いを新たにしたのでありました。

 

ここからは、このブログでお馴染みの(笑)達郎ネタです。

 ニルソンは、その時代と音楽性に於いて山下達郎が興味を示すのは当然と思います。サンデーソングブックでも何回かニルソンのそれも当然のごとく初期の作品がオンエアされています。 しかもそれに絡んで私の出した葉書が紹介されたことも何度かあります。

ニルソンには彼自身としては正式には発表されていない THIS COULD BE THE NIGHITと言う彼が作詞作曲をした楽曲がありますが、この曲を山下達郎はアルバムGO AHEADBIG WAVEで取り上げています。 そこで私の「ニルソン自身が唄っているバージョンはないのか?」の質問に「ありません」のお応えを放送でいただきました。(その後デモテープは何かのアルバムのボーナストラックに収録された)

「あの曲はカバーだった」特集でWITHOUT YOUのオリジナルBAD FINGERのバージョンを、またEVERYBODY'S TALKIN'をFREAD NEALバージョンで私のリクエスト葉書をご紹介〜オンエアいただきました。

「ワンコードの曲」特集では、COCONUTSが放送された事に対し、私が「ニルソンファンとしてリクエストをしなかったことを一生の不覚」と出した葉書をその翌週にお読みいただきました。 ちなみにこのココナッツとJUMP INTO THE FIREは達郎さんがご自身でギターを弾きながら解説していただきました。

また私のリクエストではありませんが、「ランディニューマンを唄う」収録のDAYTON OHAIO 1903はその歌詞の朗読と共に紹介され、このアルバムを「珠玉の名盤」と解説されておりました。この曲は確かこれまで2回かかったと思います。

 

今回もとても長くなりましたが、私が最も好きなミュージシャンの話だとついつい色々な事を書きたくなっちゃうんですよね。

 

今年も月一ペースで、あれやこれや書いてきましたが、お読みいただいた皆様には深く深く御礼を申しあげますと共に、きたる2024年の投稿にもご期待ください(誰も期待してないか